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「第九を聴く」31 アバドと高関健
クラウディオ・アバド(1933〜   )
ミラノ生まれ、アバド家は、イタリアでは有名な音楽一家として知られていて父は音楽学者でヴァイオリニスト、母はピアニストといった恵まれた環境で育っています。ヴォットー、ゼッキ、スワロフスキーといった名教師たちに指揮を学び、1963年ミトロプーロス指揮者コンクール優勝、1965年ウィーンフィルを振りザルツブルク音楽祭デビュー、1972年スカラ座音楽監督、971年ウィーンフィル首席指揮者、1983年ロンドン響音楽監督、1986年ウィーン国立歌劇場音楽監督を経て1990年ベルリンフィル音楽監督。アバドはまさにカラヤンの後継者的存在で、古典的な演奏様式を基盤としながらも、明晰で現代的な音楽造りをする巨匠です。

ベルリンフィル、スウェーデン放送合唱団、エリック・エリクソン合唱団
 S:エグレン、Ms:マイアー、T:ヘップナー、Bs:ターフェル
  (1996年 4月2日、4―6日 スタジオ録音)
アバド&ベルリンフィルによる初の第九録音。この4年後に独唱者を変えて再録音を行ない全集まで発展します。アバドにはこの10年前にウィーンフィルを振った全集もあり、ウィーン響による非合法ライヴCDも出ています。結局アバドは、ベルリンフィルとウィーンフィルを振ってベートーヴェンの交響曲全集を録音した初の指揮者となりました。
この演奏はベーレンライター版を用いているとはいえ、曲のアプローチはジンマンやマッケラスのように小編成のオケを使い、奏法までオリジナルに近づけてといった演奏とは異なり、あくまでも従来の大編成のオケで一部最新の研究成果を取り入れたといった演奏です。第2楽章のテンポ運びや第4楽章ホルンのシンコペーション部分など、ベーレンライター版に近い部分もありますが、第1楽章の81小節目のフルート、オーボエもブライトコップ旧版のままで、全体の印象としては従来のブライトコップ版の大編成オケの録音とあまり大差ありません。ただウィーンフィルの旧盤と比べると、曲全体のテンポが大幅に速くなりオケの響きも異なるために、聴いた印象はだいぶ異なります。
このベルリンフィルとの演奏は、透明な響きの中を良く歌いながらスルスルと自然に流れていく演奏で、カラヤン時代から引き継いだベルリンフィルの機能をフル回転させたダイナミックレンジの大きな豪華な演奏です。中でもスウェーデンから呼び寄せた名合唱指揮者エリク・エリクソンの薫陶を受けた二つの合唱団は圧倒的な存在感で、透明で正確無比の歌唱を聴かせます。独唱者も水準以上です。ただウィーンフィルとの旧録音の熱のこもった演奏の方が、一般的な第九のイメージに近い演奏だと思います。私は名歌手ヘルマン・プライの貫祿の歌唱が聴けるウィーンフィル盤に魅力を感じます。

高関健(1955〜   )
東京生まれ、森正、小澤征爾、秋山和慶に師事、在学中にカラヤン指揮者コンクールジャパンに優勝、1985年までカラヤンの助手を務める。1984年スワロフスキー指揮者コンクール優勝、広島響(1986〜1990)音楽監督、群馬響(1993〜)音楽監督、現在大阪センチュリー響(1997〜)の常任指揮者。派手さはないが堅実で正統派の音楽造りをする指揮者です。

群馬交響楽団 、東京混声合唱団、
 S:豊田喜代美、A:秋葉葉子、T:川上洋司、Br:池田直樹
  (1994年 12月23日 東京 浜離宮ホール ライヴ録音)
群馬交響楽団創立50周年記念の年に行なわれた、ベートーヴェン交響曲全曲演奏会のライヴ録音CD。この時の演奏会は当時最新の版が使われました
第1番、第2番 :ラープ校訂(ヘンレ版)
第4番、第6番、:ハウシルト校訂(ペータース版)、
第5番:ギュルケ校訂(ペータース版、)
第7番:ハウシルト校訂(ブライトコップ版)
第3、第8、第9については原典版が出版されていない状況だったので、ブライトコップ旧版を底本とし、マルケヴィッチ版と自筆譜などを参照しながら高関健が取捨選択し演奏しています。第9の演奏に関しては、結果としてベーレンライター版に近いものとなりました。第1楽章の81小節目はDに変え、ベーレンライター版使用の多くの演奏が採用していない第2楽章のヴァイオリンパートのタイも実行しています。第4楽章もホルンのシンコペーションもブライトコップ版とは多少異なるような気がします。(ただこれはホルンがミスをしている可能性もあります)楽器配置も古典的な対向配置を採用し、コントラバスは木管楽器の後ろに横一列に並べています。
演奏は、各声部の見通しも良く力強さに満ちた正統派のベートーヴェン。オケもライヴ録音のハンデがあるとはいえ、水準の高い演奏を聴かせます。
難を言えば日本の第一線級の独唱陣がいま一つで、特に後半部分で一部音程が不安定になる箇所があり、ライヴとはいえかなり気になりました。合唱もどうも薄い響きで感心しませんでした。しかし限られた資料の中で原典版により近づこうという志は、アバドよりも高いと思います。
(2001.12.21)
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