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「ラプソディー・イン・ブルー」を聴く7・・・コステラネッツとF.スラットキン
今回は、アメリカで軽いクラシック音楽の指揮者として50年代から60年代にかけて
活躍したフェリックス・スラットキンとアンドレ・コステラネッツの演奏です。

アンドレ・コステラネッツ(1901〜1980)はサンクトペテルブルクの貴族の家に生まれ8歳でピアニストデビュー、その後指揮を学び、マリンスキー劇場の副指揮者を経て1922年にアメリカへ移住。1931年にCBS響の指揮者、主に放送畑の指揮者や編曲者として活躍しています。その後自らオーケストラを組織し、いわゆる軽めのクラシック音楽や映画音楽、ムード音楽といった分野の録音を数多く残しています。来日してN響を指揮してポップスコンサートを開いたりしています。

コステラネッツは、巧みな編曲によってクラシック音楽を大変わかりやすく演奏するのが得意でした。オペラの有名な旋律をオーケストラのみで演奏などなかなか楽しめるものでした。

・コステラネッツ管弦楽団
 ピアノ:アンドレ・プレヴィン
(1960年3月25日 ハリウッド リジョンホール スタジオ録音)
1942年版による演奏。この演奏の魅力は、当時バリバリの現役のジャズピアニストとして活躍していたアンドレ・プレヴィンのピアノにあります。プレヴィンの活気に溢れ即興的なピアノは、まさにラプソディックそのものです。
コステラネッツの指揮もプレヴィンの鮮やかなピアノに引っ張られ、熱気に満ち素晴らしい出来です。
コステラネッツの率いるオケは編成が小さいようで、弦の響きも薄いものですが、ユニゾンで複数の管楽器が重なっているような部分は楽器を削ぎ落とし、逆にサックスのみの部分にはヴァイオリン数本を重ねるといった独特の改変を施しています。
このことがかえってオリジナルのジャズバンドに近い雰囲気を演出していると思います。
なお練習番号14から18までと21の途中から24までカット。

この録音の数年後セントルイス響を振って指揮デビュー、クラシックの指揮者に転じています。

フェリックス・スラットキン(1915〜1963)
セントルイスに生まれ、カーティス音楽院でジンバリストにヴァイオリンを学んでいます。その後セントルイス響の副コンサートマスターを経て、ロサンゼルスに転居。
当時全盛を迎えていた映画音楽のスタジオミュージシャンのリーダー格として活躍する一方、ハリウッド弦楽四重奏団を組織して優れた演奏を残しています。またハリウッド・ボウル響の指揮者としても、ポピュラー名曲の分野で膨大な数の録音を残しました。
なお指揮者のレナード・スラットキンは彼の息子です。

・ハリウッド・ボウル管弦楽団
 ピアノ:レナード・ペナリオ
(1957年ころ ハリウッド スタジオ録音)
1942年版による演奏。ハリウッドボウル管弦楽団はロスアンジェルスフィルが
ポップスコンサートを開く時の変名。
色あせたカラー写真を見るような趣で、なんとも古いなぁという演奏です。オケは充分に鳴っているしクラリネットのソロも極上ですが、曲の各所で見られる Poco rit.を極端に誇張しているのも野暮ったい雰囲気です。練習番号40の2小節前の大ブレーキにもびっくり。
グローフェのオーケストレーションにほぼ忠実で、ドラも聞こえますが、Tutiで楽器が重なっている部分の一部でトランペットを省いたりしています。
これを古き良きアメリカを感じさせる演奏と取るか否かで評価は分かれると思いますが、
1924年に録音されたガーシュインの演奏が、未だに新鮮な印象を与えていることと
つい比べてしまいます。

ホワイトマン盤でも弾いていたペナリオはここでも実に鮮やかな腕前。
ただソロの部分に音像がモノラルのようになる箇所もあり、
ひょっとするとピアノのみ別採りかもしれません。
(2004.02.11)
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