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「悲愴」を聴く19・・・カラヤンその2
今回はカラヤンの2回目。最近CD化されたN響やフィルハーモニア管、ベルリンフィル
との戦後初の録音といった、カラヤンが上り調子にあった時期の演奏を紹介します。

・NHK交響楽団
(1954年 4月21日 日比谷公会堂 ライヴ録音)
カラヤン単独の初来日となった1954年のライヴ。NHKのアーカイヴからのCD化で、モノラルながら芯の有る鮮明な録音です。
当時のベルリンフィルはフルトヴェングラーの最後の時代で、カラヤンはミラノのスカラ座、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団、ウィーン交響楽団が主な活躍の場でした。
この時のカラヤンはNHK交響楽団を振り、4月から5月にかけて演奏会や放送録音として18回の公演を行っています。
カラヤンとしてみればいわば他流試合の演奏で、慎重に探りを入れながら演奏している趣です。当時のN響を、ウィーンフィルやベルリンフィルと比べるのは酷な話で、この頃の日本のオケの水準としては、驚異的な出来映えです。テンポは遅めですが、ウィーンフィルとの録音とあまり演奏時間の差がなく、「悲愴」に関しては、カラヤンの解釈は既に確立していたことが想像されます。
第2楽章のチェロの歌いまわしやティンパニの強打が心地よいとはいえ、やはりオケの反応の鈍さには興を削がれる部分が多々あります。
しかし海外の一流のオケに見られない、アマオケにも似た必死に食らい付いていくひたむきさが、ひしひしと聞き手に伝わってくるのも事実で、第1楽章の後半や足をひきずるように終わる悲愴美に満ちた第4楽章などは、なかなかの演奏だと思います。


・フィルハーモニア管弦楽団
(1955年5月17日〜27日、1956年6月18日
           ロンドン・キングズウエイホール スタジオ録音)
ベルリンフィル芸術監督就任直後の録音。当時のカラヤンは、EMIの敏腕プロデユーサー、ウォルター・レッゲが設立したフィルハーモニア管弦楽団を振って数多くの録音を残しました、後にそれらの多くは、ベルリンフィルによって再録音されましたが、カラヤンの膨大なレパートリーの基礎は、この時期に確立されたとも言えそうです。
当時のフィルハーモニア管弦楽団は、ホルンのデニス・ブレインに代表される世界的な名手を揃えたスーパーオケでした。
聴いてみて明るく楽天的な印象を受けたのは、比較的軽めのオケの音色のためかもしれません。第1楽章からものものしくも遅いテンポで始まるのは、カラヤンの「悲愴」ならではで、展開部も比較的落ち着きを見せたテンポです。第2楽章の弦楽器群のしなやかで澄みきった歌い方は、ウィーンフィル盤をも凌いでいるかもしれません。テンポも強弱もスコアに極めて正確で、整然と進む第3楽章などこの曲のスタンダードとも言える演奏でした。なおこの録音は、長い間モノラル録音だと信じられていましたが、実は実験的にステレオ収録され、LP後期に初めてオリジナルステレオとして世に出ました。

・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
 (1964年2月11、12日 ダーレム イエス・キリスト教会 スタジオ録音)
この年、カラヤン・ベルリンフィルはドイツグラモフォンと録音の専属契約を結び、多くの意味で後のカラヤンのイメージを確立した年でもありました。
ベルリンフィルの芸術監督就任後10年近くの月日を経て、自分の思うが侭にオケをドライヴすることが出来ているのを誇示するかのようなスピード感溢れる流麗な演奏です。
フルトヴェングラー時代の、ベルリンフィル特有の重く暗い響きは全く姿を消し、ゴージャスで絢爛豪華な音響美がここにありました。
確かにうまい演奏ですが、第1楽章の第2主題で弦を微妙にズラしながら流すところなど、嫌味が感じられ、後にアンチカラヤン派を多数生み出すきっかけが、このような所にあるのかなと思いました。
第1楽章で、展開部の280小節目あたりの頂点に向かって次第にテンポを上げていくところなど随分と演出過剰だと思います。第3楽章の後半で、第1拍目に大きなアクセントをつけながら早いテンポで圧倒的な迫力で盛り上がるのを聴いていると、過ぎたるはなお及ばざるが如し、とにかくやりすぎだと思いました。第2楽章は他のカラヤンのどの演奏よりも早く、ただただあっさりと通りすぎていきます。
(2003.05.15)
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