「ブラームスの3番を聴く」5・・・ブラームスが理想としたオーケストラ編成
今回は、ブラームスの交響曲が当時どのように受け入れられていたか、
ということで、曲別の演奏回数と当時のオーケストラの編成についてです。

フリッシュの著書には、1890年から1902年までの間に欧米で演奏されたブラームスの4つの交響曲の演奏回数が紹介されています。
第2番 207回
第3番 176回
第1番 154回
第4番 123回

正直なところこれは意外な結果です。1890年といえばブラームスがまだ存命中ですが当時の聴衆の好みが現在とは大きく異なっていたのでしょうか。フリッシュは、「20世紀では圧倒的人気を誇る第1番も、スタンダートになるまで多少の時間を要した。第1番は、尊敬こそされているが熱狂とは程遠いのである。」と書いています。
次にニューヨークフィルの1877年から1995年までの演奏回数。
第1番 338回
第2番 334回
第4番 263回
第3番 163回
今おそらく他の有名オーケストラで統計を取っても同じような結果になると思います。
最後が静かに終わる第3番は、他のブラームスの交響曲と異なり、演奏会の最後に乗せにくく自然と演奏回数が少ないことがわかります。

さて、ブラームスの交響曲は、当時どのような編成のオーケストラで演奏されたのでしょうか。

1847年にベルリオーズがドイツ各地で客演した時のフランクフルト・アム・マインのオケの編成表が残っています。これによると総勢44名、10型2管の編成に多少欠ける人数です。創立時のウィーンフィルも第1ヴァイオリン奏者は10名でした。
巨大なオーケストラを好んだベルリオーズですが、これがドイツの中都市での標準的なオーケストラ編成であると書いています。

その後交響曲第3番が初演される1880年代になると、楽器の改良とともにオーケストラの規模が拡大する傾向になり、メンデルスゾーンが率いていた1838年に44名編成であったライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、1890年には90名に増強されています。
この章の冒頭で紹介したようにブラームスの交響曲は、作曲者の生前に評価が進み、ヨーロッパ各地で演奏されています。ブラームスも自作の演奏会には積極的に出かけていますが、その時代の傾向として60人以上のオケであった場合も多かったと思われます。
ブラームス自身1878年に114人編成のハンブルクフィルを指揮して交響曲第2番を演奏しています。

今でもブラームスの交響曲といえば、弦楽器を増強し、時として管楽器を補強した演奏が珍しくはありませんが、ブラームス自身は、自分がオーケストラの編成を選べる場合には弦楽器が木管楽器を圧倒しないように、できるだけ小編成を好みました。カールスーエでの交響曲第1番の初演は47人編成のオーケストラでおこなっています。

さらにオーケストラの編成が拡大する風潮の中の1886年、マイニンゲンの宮廷管弦楽団での交響曲第4番の初演は49名編成でおこなわれています。この時ブラームスは弦楽器の増強に対して強い抵抗を示したそうです。ブラームスから最も信頼されていた友人であり、ブラームスから直接助言を受けながら演奏をおこなったフリッツ・シュタインバッハは、交響曲第4番を演奏する際、第2楽章でヴィオラが分かれて第一主題を再現する部分では、各楽器1本ずつで弾かせたという記録が残っています。

おそらくブラームスの頭の中で鳴っていた理想の音は、響きが透明で各声部の見通しが良い小編成の響きオケによる、柔軟なテンポとフレージングによる演奏だったのだと思います。


(2005.01.12)