「聖歌の変遷、グレゴリオ聖歌の成立から現代まで」
1990年代初め、グレゴリオ聖歌がヒーリングミュージックとして爆発的にヒットしました。

スペイン・イスパボックスが録音していたスペインのシロスの修道院の1973年の録音を、イスパボックスを吸収合併したスペインEMIが発売したものがきっかけでした。

このCDは世界でなんと500万枚、日本だけでも17万枚のセールスを記録したといわれています。

デュリュフレのレクイエムには、グレゴリオ聖歌がほぼそのままの形で使われている部分が多数あります。

今回はグレゴリオ聖歌の成立と現代に至る流れです。




   「グレゴリオ聖歌の特徴」



・ローマ・カトリック教会において 1000年以上歌い継がれてきた単旋律の典礼聖歌。

・ 大部分がラテン語聖書からとった典礼文が歌詞。

・無伴奏 (ア・カペラ) で歌われる。

・ミサ用の聖歌集はグラドゥアーレ。聖務日課用の聖歌集がアンティフォナーレ と呼ばれる。

・この聖歌の旋律は教会旋法と呼ばれ、8種類の音階を使用する。

となります。




「初期の聖歌からグレゴリオ聖歌の成立まで」


3世紀ころ

・初期キリスト教会の音楽

 初期キリスト教会の聖歌は、ユダヤ教のシナゴークで歌われた音楽に、ギリシャのヘレニズム音楽、ガリア・ゲルマン的要素、東方的要素など吸収して生まれました。
やがて東方的な影響を受けつつシリアで発生した賛歌(ヒュムノスhymnos)の類を加えながら,シリア聖歌,アルメニア聖歌,コプト聖歌,ビザンティン聖歌など,それぞれ地方色をもつ典礼聖歌に分化していきます。 



4〜7世紀
    ・ 一方西方ではラテン語による地方独自の典礼の発達に伴い、さまざまな聖歌が発生しました。
     アンブロジウス聖歌(ミラノ)ガリア聖歌(フランス)、モサラベ聖歌(スペイン)など

・その後それらの地方的典礼を、ローマ式典礼に統一する動きが出てきて、 
グレゴリウス1世(在位590〜604)を経て教皇ウィタリアヌス (在位657−672年) によって聖歌への大幅な手入れが行われます。

7〜9世紀:
フランク王国内でのローマ典礼の変貌
 
アルプス以北では、フランク王国のピピン、シャルルマーニュ親子のローマ典礼の導入と統一政策によって、従来の地方典礼と音楽は消滅、もしくはローマ典礼に同化していきました。
この同化の過程で、フランク王国内に移入されたローマ典礼(古ローマ典礼)そのものも独自の変貌を遂げて、逆流する形で古ローマ典礼へ影響を与えていきます。



8〜9世紀・・・・グレゴリオ聖歌の成立(最古の聖歌集は9世紀(歌詞のみ))

*現在のグレゴリオ聖歌は、8〜9世紀のフランク王国との交流によって大きな影響受けたローマ典礼が、アルプス以北で成立したといわれています。(異説もあり)

・ネウマで記譜された楽譜付き聖歌集が現れ始める。(9〜10世紀)

10〜11世紀
    
・グレゴリオ聖歌を定旋律とするポリフォニー音楽(多声音楽)の普及。



14世紀  G.マショーのノートルダムミサ作曲
ルネサンス期の世俗的な要素(グレゴリオ聖歌の本来の姿から離れる)
              ・・・・・批判が起きる

16世紀
    マルティン・ルターの宗教改革(1517〜)

カトリック教会改革のためのトリエント公会議(1545年〜1563年)
      批判を受けてグレゴリオ聖歌を正式な聖歌とし、聖歌の整理をおこなった。

    その流れで出版された聖歌集である通称メディチ版は、古典的な旋律をルネサンス・バロック風に変えてしまったものだった。

19世紀  
     グレゴリオ聖歌が書かれたネウマ譜の解読と研究が進み、各地で聖歌復興の動きが出てきて復興聖歌集が出版された。
     ・メディチ版に基づくレーゲンスブルク版(1873年)
         ・・・・不完全なため主にフランスから批判が起こる。

 ソレム(フランス)のベネディクトス会修道院の古典的聖歌復興運動
 


20世紀

・1903年:
ピラス10世(在位1903〜1914年)は「トラ・レ・ソ・レディトラーディニ」を発布(1903年)し、グレゴリオ聖歌を典礼音楽の最高の模範とした。

・1908年:
聖歌集編集委員会(ソレム出身のドン・ポライエ委員長)による古い写本から正確な旋律を復興した「ミサ聖歌集」 
                   ・・・・
・1911年:
ソレムのドン・モクローによるリズム付バチカン版
   

・1962〜1965年:
「第2バチカン公会議」:典礼や教義に対して大きな改革が行われた。

この会議の結果、自国語による典礼が推奨され、死語であるラテン語によるグレゴリオ聖歌は典礼で使われなくなりました。
さらにミサを従来の共同体意識を確認するための儀式とすることが決定。

個人の罪の軽減を求めるレクイエムはその主旨に反することとされ、
ミサにおける言葉がラテン語から各国語に変えられると共に、不必要に地獄の恐怖を煽るとして、ローマ典礼の死者のためのミサの形式が廃止された。

・1979年:
ソレムのドン・カルディーヌによる「グラドゥアーレ・トリプレクス」
    これは聖歌本来の形を再現したといわれる。





(2016.11.10)