「幻想交響曲を聴く」5・・・作曲と出版の経過

「幻想交響曲」の自筆譜は、現在パリ国立図書館に保管されています。
ベルリオーズはピアノが弾けなかったために、直接スコアの上で推敲を重ねながら作曲を進めていったようです。自筆譜の写真を見る限りでは、かなりの書き直しや付け加えがあります。

初演から1845年の出版に至るまでに、ベルリオーズは何度も改訂を重ね、特に1831年の改訂では、初演の時に不評だった第3楽章を大幅に手を加えています。
この第3楽章は、1992年に発見された「荘厳ミサ」の第3曲グラティアスからの引用ですが、このグラティアスを聴いてみると、コールアングレとオーボエの対話とティンパニの雷鳴がないことと、合唱が加わっていることを除けば、「幻想交響曲」の第3楽章とほぼ同じです。したがって1831年の改訂は、このコールアングレとオーボエ、そしてティンパニパートへの加筆が主であったと推察されます。

なおヴァイオリン、次いでフルートといった順序にほぼ音高順に雑然と並べられていたスコアを、楽器の種別によって整理し、オーケストラスコアを今日のような外観にしたのはベルリオーズです。

以下が作曲と出版の経過です。

・1830年 4月  完成
           第1楽章のイデーフィクスの主題は1828年作曲の
           カンタータ「エルミニー」から
           第3楽章は、荘厳ミサ曲からの引用。
           第4楽章は、未完のオペラ「宗教裁判官」の衛兵の行進
           をほぼそのまま引用。
           現在の第2楽章と第3楽章は入れ替わっていた。
           B♭オフィクレイドパートはセルパンを指定。
・1830年 12月 アブネック指揮のパリ音楽院管弦楽団が初演
・1831年     第3楽章大幅改訂
・1832年     再演
・1833年     リストがピアノ用に編曲
・1834年     リストによるピアノ版出版
・1844年 5月  コルネットの名手アーバンのために第2楽章
            コルネットのソロ加筆か?(出版譜では削除)
     オーケストラ譜出版 Maurice Schlesinger (Advanced Edition)
・1845年 オーケストラ譜出版 Maurice Schlesinger (First Edition)
・1855年 改訂 プログラムの内容を大幅に変更
・1869年 ベルリオーズ没
・1885年 フランスの軍人・作家ピエール・ロチ 赤坂御所での観菊御宴で宮廷
       楽団による幻想交響曲の演奏に驚く。
・1900 - 1907年 旧ベルリオーズ全集ブライトコップ社から刊行
            C.Malherle とF.Weingartnerによる校訂
・1929年 日本初演(近衛秀麿指揮 新交響楽団)
・1967年  1969年のベルリオーズ没後100年を記念して、
        ベーレンライター社による新ベルリオーズ全集刊行開始
・1972年  新ベルリオーズ全集による「幻想交響曲」ベーレンライター社から出版
         N.Temperleyによる校訂
・2003年  ベルリオーズ生誕200年
・2004年  新ベルリオーズ全集完結予定

 *ブライトコップからも新ベルリオーズ全集による楽譜が出版されていて、現在ベーレンライター版とブライトコップの新版は同じ内容であるようです。

いわゆる旧全集は1900年にブライトコップ社から発行されました。この時校訂を行ったのは、パリ音楽院とパリ・オペラ座のチーフ・ライブラリアンであり、作曲家でもあったC.メルレルレと、マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場の音楽監督となるワインガルトナーでした。
ワインガルトナーは、ベルリオーズの作品をワーグナーに代表されるロマン派の先駆けの音楽として捉え、19世紀風のロマンティックな表現を目的としたものでした。

しかし、ブライトコップ旧版と思われる全音楽譜の古いポケットスコアと(これが大きな誤りであることが後にわかりました)、ベーレンライター版にほぼ近いと思われる2001年発行の音楽之友社のポケットスコアを比べて見ると、ワインガルトナーがベートーヴェンの交響曲の校訂でおこなったような、楽器の置き換えや、旋律の補筆といった大きな変化は見られませんでした。
スラーの位置が細かなところで変わっていたりはしますが、テンポの指定とダイナミックスの変化はほぼ同じ、楽器の指定が本来オフクレイドであるものが、チューバであるぐらいでしょうか。
ただ大阪センチュリー交響楽団の演奏会にさきがけて指揮者高関健氏におこなったインタビューの中では、ワインガルトナーの校訂はダイナミックスが結構勝手に変えられているという記述があります。*

むしろ私にとって興味深いのは、ベーレンライター版には、優れた指揮者でもあった作曲者自身の演奏に対する事細かな注意書きが復活していることで、第4楽章冒頭ホルンのゲシュトップなど、いろいろと判断に迷う箇所に明確なコメントが書かれていて、ティンパニのバチの使用に対しても細かな指定があることでした。

20世紀初頭のブライトコップ旧版の出版後は、この版が世界中のオーケストラの使用楽譜となり、1972年に新ベルリオーズ全集に基づくベーレンライター版が発行された現在も、未だに使われている場合があるようです。
特に歴史の有る名オーケストラの場合、客演した数多くの名指揮者たちの指示や解釈などの貴重な書き込みがスコアやパート譜に残されていたりするので、そのまま旧全集版を使用している例があるのではないかと想像されます。
実際に、現在入手可能な録音の大部分は旧ベルリオーズ全集版によるものです。

*その後ドーヴァーのポケットスコアが旧全集に近いと聞き、入手し音友版と比べてみたところ、高関氏のインタヴューのとおり、多くの点で異なることがわかりました。
この件については、一項目新たに設けようと思います。
それにしても、全音のスコアは何を元にしたのだろう?(追記)


(2004.04.19)