「ウイリアム・スタインバーグ(1899 - 1978)」 ケルン生まれ、アーベントロートに師事。地方のオペラハウス現場叩き上げの指揮者で、ケルンとフランクフルトの両オペラハウスの指揮者を歴任、ユダヤ系のため1936年にイスラエルに逃れイスラエルフィル(当時はパレスチナ響)の設立に尽力し初代指揮者。1938年トスカニーニの招きで渡米しNBC響副指揮者の後、バッファローフィルの音楽監督を経て1952年から1977年までピッツバーグ交響楽団の音楽監督。 一時はラインスドルフに代わり(1969 - 70)ボストンの音楽監督も兼任。 ・ ピッツバーグ交響楽団 (1950年代前半 スタジオ録音) アメリカのマイナーレーベル、キャピトルへのスタジオ録音。ステレオ期に入りスタインバーグはコマンドに再録音をおこなっています。 全体に遅めのテンポで進む着実な演奏。比較的ドイツ的な重厚な音色が持ち味だったスタインバーグ時代のピッツバーグ響ですが、この演奏は軽めの響きでティンパニなどパランとした音です。 一歩一歩踏みしめるような序奏の遅さはユダヤ的な粘りとでも言いましょうか、主部のAllegro moderatoの前で微妙にテンポを落とし、主部に入ってからもゆっくりなのがユニーク。第1楽章最後の音にティンパニ付加。 第2楽章の練習番号30前のアチェッレランドもきっちり2小節前から実施。 着実余裕の第3楽章は、最大の盛り上がりの練習番号55からの見通しの良い透明な美しさが光り、盛り上がった後の練習番号56のTempo Iでヴィオラのピチカートを強調させながら鳴り響くホルンが弔鐘を連想させるの印象的。 第4楽章の61からの加速は唐突で、管楽器の3連譜に乗って弦楽器が朗々と歌う部分のレガートもなぜか不自然。細かな音までしっかり鳴らしている密度の濃い響きで、後半に現れる低音弦楽器によるピチカートの下降音型などはさながら死の舞踏のような不気味さを持って聴こえてきます。練習番号87の頂点にティンパニのトレモロ付加。 鋼のようなオケの引き締まった音が印象的でした。テンポの動きは譜面に極めて忠実でオケもしっかりと鳴らした演奏ですが、あまりにも生真面目でこの曲にはもう少し遊びが欲しいと思います。 今回聴いたのはキャピトルのオリジナルモノラルLP。輝かしい音ですがダイナミックスの幅が狭いのが気になりました。 カットの箇所は、アメリカのオケが70年代までおこなっていた標準的なカットと同じで、おそらくラフマニノフ自身の手によるもの。 以下がカットの箇所と演奏時間です。( )はプレヴィンの1973年録音盤。 「第1楽章:17'21" ( 18'59" )」 練習番号9の16小節めのMeno mosso から4小節 練習番号13の5小節めから6小節 練習番号14から15まで 練習番号17の18小節めのa tempo から練習番号18まで 練習番号19の9小節めから8小節 練習番号23の4小節めから10小節 練習番号23の15小節めから4小節 練習番号24の9小節めから8小節 「第2楽章:8'01" (10'00")」 練習番号40から練習番号42まで 「第3楽章:11'24" (15'37")」 練習番号50から8小節 練習番号53から練習番号55まで 「第4楽章:10'46" (13'59")」 練習番号61の9小節めから練習番号62の9小節めまで 練習番号68から4小節 練習番号69から7小節 練習番号76から練習番号80の12小節めまで (2006.04.17) |