「ラインを聴く」5・・・作曲の経過と録音史
今回は、作曲の経過と録音史です。

シューマンは几帳面な人で日常の些細なことを記した「家計簿」が残っていて、「ライン」の作曲経過もかなり細かな内容まで記しています。

以下は作曲の流れです。

1850年 9月29日  ケルンへ行き大聖堂に感銘を受ける。
11月2日  「ライン」の作曲にとりかかる。
        4日   再びケルンへ。
        9日  第一楽章スケッチ終わる
       23日  第一楽章オーケストレーション終了
       25日  スケルツォの作曲にとりかかる。
       28日  第三楽章作曲
       29日  スケルツォ 完成
    12月 1日  第四楽章にとりかかる
    12月 4日  ほぼ全曲完成
        9日  スコア完成 シャンパンを購入
    12月12日 完成

「ライン」の作曲は着手から完成まで一か月という速いスピードで作曲されています。

1851年   2月 6日 交響曲第3番「ライン」初演 シューマンの指揮
        2月25日 ケルンで再演
        3月13日 デユッセルドルフで慈善演奏会
       10月    ジムロック社から出版

1852年   この頃から宗教曲の作曲に没頭
        3月 ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団が「ライン」を演奏
           シューマン夫妻は感銘を受ける。

1853年   3月 3日 交響曲第4番ニ短調(第2稿) 初演
       11月26日 ユトレヒトでシューマンの指揮で「ライン」を指揮
          31日 ロッテルダムで演奏、
聴衆が熱狂シューマン夫妻の宿泊するホテルの外で合唱団とオーケストラが「誕生日行進曲」を演奏。
11月    デユッセルドルフの音楽監督を辞任

1852年頃から精神状態が著しく不安定になり、音楽監督を務めるデュッセルドルフの合唱団では指揮の途中で放心状態となったりしています。さらにデュッセルドルフのオーケストラの技量の著しい低下を指摘され音楽監督を辞任しています。

1854年   2月19日 精神障害が悪化 幻聴に悩ませられる。
21日 ピアノ曲「天使の主題による変奏曲」(最後の作品)
24日 ライン川への投身自殺未遂
        3月 4日  精神病院へ入院
ライン川に発作的に身を投げ漁師に助け上げられたものの、以後ほとんど廃人同様となってしまいます。

1855年   2月23日 ブラームス、精神病院を訪問
1856年   7月29日 シューマン死去46歳

1887年         ブライトコップ旧全集版(クララ・シューマン監修)
1911年   1月31日、2月3日 
マーラーがニューヨークフィルで「ライン」を指揮
1919年         ワインガルトナーが「交響曲上演に関する助言(シューベルト、シューマン編 絶版中)」でシューマンの交響曲の改訂について示唆
1927年   9月25日 日本初演 近衛秀麿指揮 新交響楽団
1933年  11月    初録音 ピエロ・コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団

1977年         マーラー版スコア出版 (ユニヴァーサル社)
1981年         ゴールドマン・ショット社ポケットスコア
(ラインハルト・カップ監修)
1995年         Linda Correll Roesnerの校訂による新シューマン全集版
1993年―2001年   Joachim Draheimの校訂によるブライトコップ新全集版


次に録音史。

シューマンの交響曲の録音の最も早い時期の録音は、ハンス・プフィッツナー指揮のベルリン国立歌劇場管弦楽団による1922年からの第1、2,4番の一連の録音がありますが、なぜかこの時は「ライン」のみ録音されませんでした。

1933年11月   コッポラ    パリ音楽院管

「ライン」の初録音はピエロ・コッポラ指揮のパリ音楽院管弦楽団によるフランスの演奏家たちの演奏。野村光一著「名曲に聴く」(昭和26年改訂)には、コッポラの演奏はオーケストレーションにコッポラの手が加わっているとの記述があります。

1938年      トスカニーニ  NBC響     プライヴェート録音
1941年      ワルター    ニューヨークフィル
1947年      ミトロプーロス ミネアポリス響
1948年 6月   ルードウィッヒ ベルリンフィル  1楽章のみ 未発売
1949年      トスカニーニ  NBC響   

しばらくコッポラの独走状態が続きましたが、ワルター、トスカニーニ両巨匠の録音が登場。両盤ともマーラーの影響による加筆があります。

1953年 6月   シューリヒト  パリ音楽院管
1953年11月   ライトナー   ベルリンフィル
1955年      ローター    ベルリン放送響

シューリヒトはオーケストレーションにかなり手を加えた過激な演奏です。

1956年 2月   クレツキ   イスラエルフィル 全集録音
1956年 8月   ボールト   フィルハーモニック・プロムナード管 全集録音
1956年11月   パレー    デトロイト響   全集録音
1950年代前半   ディクソン  ウィーン国立歌劇場管

シューマン没後100年の1956年に一挙に3種の全集が揃いました。
ボールトはおそらくステレオ初録音。パレーの全集のうち第4番は1954年録音のモノラル。

1957年 2月   クリュイタンス パリ音楽院管
1958年      ジュリーニ   フィルハーモニア管   マーラー版
1950年代後半   ルモールテル  ウィーン・プロムジカ管

ステレオ化が遅れたフランスEMI録音のクリュイタンスの演奏はモノラル録音。
ジュリーニ盤はマーラー版と明記された初の録音だったと思います。

1960年      コンヴィチュニー ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
1960年      レイヴォビッツ  インターナショナル響

リーダーズダイジェストへの録音のレイヴォビッツの演奏は、マーラー版にさらに手を加えた演奏。

1960年10月   セル      クリーヴランド管  全集録音
1960年12月  シューリヒト   南ドイツ放送響

セルの全集もセル独自の手が加えられています。再録音となったシューリヒトは、コンサートホールレーベルへの録音。
(2011.04.23)