「シベリウスの2番を聴く」57・・・北欧の指揮者たち6 オッコ・カム
「オッコ・カム(1946年〜)」

ヘルシンキ生まれ、父はヘルシンキフィルのコントラバス奏者で6歳でシベリウス・アカデミーに入学しヴァイオリンを学ぶ。
19才でヘルシンキフィルに入団、翌年にはフィンランド国立歌劇場第一コンサートマスターに就任と同時に副指揮者。指揮は独学でした。
オッコ・カムの名が世に知られたのは、1969年の第一回カラヤン指揮者コンクールに審査員全員一致で優勝してからでした。
カラヤンのアシスタントののち、オスロフィル、フィンランド放送響、ヘルシンキフィルなどの音楽監督を歴任し、現在、フィンランドのラハティ響の音楽監督。

カムは、デビュー当初は華々しかったもののメジャーレーベルへのレコーディングがシベリウスに限定されたこともあり、その後の進路が北欧もののスペシャリストとして固定されてしまった印象です。

カムのシベリウスの交響曲第2番録音には以下の2種類がありますが、現在ラハティ響とのシベリウス録音が進行中で、新録音の登場も間近いと思います。

・ 1970年      ベルリンフィル  スタジオ録音
・ 1982年      ヘルシンキフィル ライヴ録音

ヘルシンキフィルとのライヴは来日時のもの。
このほか手元にはヘルシンキフィル来日時の別の日のライヴと、日本フィルとの1982年ライヴのエアチェックテープがあります。

・ ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
(1970年 ベルリン イエス・キリスト教会 スタジオ録音)
カラヤンコンクール直後のカムのデビュー録音。
この演奏を私がFM放送で初めて聴いたのは80年代初頭の頃。当時の私は若きオッコ・カムの颯爽とした音楽運びとベルリンフィルの輝かしいブラスの響きに、随分と興奮して聴いたものです。

今回久しぶりの聴き直しですが、以前聴いた時とはだいぶ印象が変わりました。

ベルリンフィルの威力にずいぶんと助けられているものの、表面的な効果を狙わず内面的な叙情味を強調した、とても24歳とは思えない穏健で老成した演奏でした。

全体のテンポは落ち着いたものでありますが、休符の取り方に一部性急さが感じられる部分もあり、曲全体としては統一を欠く印象です。

第一楽章冒頭から遅いテンポで開始、北の大地の春の訪れのような暖かな日常風景が広がります。オケのアンサンブルはさすがに見事で特にホルンと木管楽器の絡みのバランスは絶妙。

第二楽章も精緻にして遠くまで見通せるような透明な響きの中で遅いテンポで進みます。
61小節めのpoco apoco strigendのテヌートへの切り替えしも鮮やか。
嵐のような強奏の後、Andante sosutenutoの手前で、チェロとベースの余韻を長めにのばしていくのが特徴的。
第三楽章も穏やかな運び。二度目のトリオの前278小節のfzからmpの切り替えは鮮やかなもの。304小節で加速しフィナーレへのブリッジ手前でテンポを落とします。

フィナーレは表面的な華やかさは狙わず、しっかり息長く歌い上げていました。
75小節から始まる第二主題のヴィオラ、チェロの同じ音型の繰り返し部分で、pから ppへのディヌエンドの移り変わりも見事。
冒頭回帰の部分で大きくテンポは落としていきます。静けさから緊張を増しながらの歓喜の爆発はさながらベートーヴェンの「運命」のフィナーレを思い起こさせます。
後半の長大な登り坂の果てのブラスのコラールはベルリンフィルの威力全開の輝かしいものでした。

カムのシベリウスというよりも、ベルリンフィルのシベリウスという印象は終始ぬぐえませんでした。
才能があるとはいえ、指揮は独学だった24才のカムにとっていきなりベルリンフィルを振るのは荷が重かったのではないでしょうか。

カムはその後第1番と第3番をヘルシンキ放送響と録音し、4番以降の交響曲をベルリンフィルと録音していたカラヤンの演奏と併せて、ドイツグラモフォンはシベリウス交響曲全集のLPセットとして売り出しましたが、1番、3番がベルリンフィルではなかったところにその後のカムの運命を暗示しています。


手持ちは、グラモフォンが80年代初頭に出した国内盤LPです。艶やかな響きとまとまりの良い音で楽しめました。
(2012.04.11)