「巨人を聴く」38・・・・独墺系の指揮者たち6  ヘルベルト・ケーゲル
ライプツィヒ生まれ、はじめピアノを学ぶも第二次世界大戦で腕を負傷し断念、その後指揮者に転向し、1953年ライプツィヒ放送合唱団指揮者、1960年ライプツィヒ放送響首席指揮者。1977年からドレスデンフィル音楽監督、1990年東西ドイツ統一の年に謎のピストル自殺。

生前のケーゲルは、同じ旧東ドイツで活躍していたスイトナーやマズアと比べて堅実で地味な指揮者といった印象で、CD初期に格安のベートーヴェン交響曲全集が目に付いたくらいでほとんど話題になることはありませんでした。(演奏は良かった)
ドレスデンフィルとの来日公演でも、私はケーゲルよりも団員だったトランペットの名手ギュトラーを注目していました。

それが、死後突然評価が急上昇、各種の放送録音から来日時のライヴまで、次々とCD化されました。

マーラーはドレスデンフィルを振った交響曲第1番、第4番のスタジオ録音のほか、ライヴではライプツィヒ放送響との第1番、第2番、ドレスデンフィルとの第3番、東京都響との7番などもあります。

「巨人」の録音は2種。

・1978年     ライプツィヒ放送響    ライヴ録音
・1979年     ドレスデンフィル     スタジオ録音


・ライプツィヒ放送交響楽団
(1978年 5月9日 ライプツィヒ コングレスハレ  ライヴ録音)
第一楽章第二楽章リピートあり。第四楽章498のシンバル有り。
1967年ラッツ校訂版使用

陰影の濃い非常な美しさの中に遠くから冷やかに眺めているかのような、毒を含んだマーラー演奏です。

第一楽章序奏から十分な余韻を保った響きに濃厚なロマンが感じられます。
21小節からのトランペットシグナルの遠近感も見事。
主部に入ってからののびやかなチェロは一風の田園詩。
時折みせる節度のあるルバートと各声部の絡みが美しく、終盤へ向かって徐々に加速、途中283小節あたりで一瞬テンポを緩めて単調さを回避した後に、さらにテンポを速めて輝かしい盛り上がりを演出していました。

重くて遅い第二楽章では最初の1拍めの音を強調。
歩いていて持ち上げた片足を一瞬下すのをためらっているかのようなぎこちなさが独特です。
91小節めのトランペットは落ちています。
止まりそうなほどゆっくりのトリオは、しつこいほどのルバート。
歌の合間には微妙なパウゼ。

第三楽章のコントラバスのたどたどしさは、世界の苦悩を全て背負ったかのようです。
中間部85小節めからの歌曲の部分では、柔らかでありながらゾクッとするような冷たさが漂い、再現部は投げやりに感じるほど速いテンポとなったかと思えば突然のゆっくり。

第四楽章は始めは遅く、ためてためてしだいに加速。
途中25小節目のシンバルの入りが絶妙のタイミング。
やがて猛烈な速さとなりオケが悲鳴をあげるほど。

静かでたっぷり歌う部分では、止まりそうなほどゆっくり、オーボエの入りでは微妙なタメ。ヴァイオリンのロマンティクなルバートと甘いチェロの響きの中にヒヤリとした冷たさと白夜的な美しさ。

終盤のヴィオラの入りから音符を短めに切り上げ、カチリカチリと時計が時を刻むかのように正確なタイミングで加速。
音量と速度が絶妙に比例して狂瀾怒濤のクライマックスを築きあげていました。

今回聴いたのはウエイトブリックから出ていたCDです。
残響豊かで奥行きも有り、放送録音らしき良い音でした。
(2015.08.19)